何の取り柄もなかった小学校時代【でも将来4000万円貯められる!】
こんにちは。誰でもセミリタイア可能ブログ管理人のレオです。
僕が10年間実施していたお金の増やし方【誰でも再現可能です!!】

今日はどんな内容ですか?

僕が小学生時代のエピソードだよ。昔からグダグダだったな。でもそんな不遇な時代があってもセミリタイアは可能だよ!

くわしく教えて下さい!
こんなグダグダな子でした・・・
昔から大人しく、クラスの中では全くという程に、目立たない子でした。
未だに忘れられない出来事があります。
小学4年生の時に同じクラスに「N君」というめちゃくちゃ大人しいというか
N君が話したことがある風景を見たことがないというくらい病的に無口な子がいました。
とある日、授業中にクラスが盛り上がり、担任の先生に

お前らやかましいぞ。静かにしろ!このクラスもN君とレオ君だけならもっと静かに授業できるんだけど。もの凄く静かだぞ。

えー!せんせいーーー、そんなの暗いよー!Nとレオだけだなんてーーー!
すると先生が一言

暗かったら電気つければ、いいじゃないか
一同大爆笑。N君と僕を除いては。
僕はクラスでも大人しい、暗い、存在感がないという代名詞のような存在でした。

レオさんそんな子供時代だったんだ!
勉強もスポーツも人並み以下
暗くても、勉強が出来たり、運動神経がよかったりと何かしら光るものがあれば、まだ自信がついたかもしれません。
が、勉強は平均以下、特に先生から気に入られるキャラでもなく、当時の子供の遊びは野球が盛んでしたが、バットを持てば三振、守ればエラー連発とそこでも光るものもありませんでした。

これならのび太くんのほうがいいかもね。
バスケットボール部に誘われて入部したが・・・
小学校4年の終わりにクラスメイトのT君からバスケットボール部に入らないかと言われ、何の深い考えもなく

いいよ
と返事をしてしまった。
本来であれば同級生は部活を始めるのが小学校3年の終わりから始めるが、1年のキャリアの差がある。それだけでも不利なのにバスケットボールに身長が重要だが、当時の僕はクラスから3番目に低い低身長。バスケ部は北海道大会でベスト8に入るくらいの強豪で、練習もきつく、監督や先輩も怖かった。
僕をバスケに誘ったT君はなんと僕が入部してすぐに辞めてしまった。
後で知ったのだが、T君はバスケの練習がきつくて、辞めたいけど人数が減るから
誰か変わりの人を入部させたら辞めやすいという部の風潮らしく、目立たなく、頼みを断らなさそうな僕に声をかけてきたんだと思う。

T君そりゃないぜ(T_T)
練習にもほぼ毎日参加したが、もともと運動神経もなく、身長も低かったので
同学年はおろか下級生で僕より背が高くてうまいやつもいた。
試合に出られることもほぼなく出られても格下の学校と試合して
後半圧倒的にうちの学校がリードした残り3分とか。。。

普段の練習が報われないね!
最後に監督に言われた言葉がショック過ぎる件
そして、これといった活躍もないまま、6年生になり、引退のパーティみたいなのに父兄も参加してそこで一人ひとり挨拶することになった。
僕の挨拶が済んだ後に監督から

「いやー、レオはいつ辞めるのかいつ辞めるのかと思っていたけど、結局最後まで居たな」
と父兄やチームメイトの前で言われた。
みんなや父兄が爆笑していた。

いやいや、うちの母親も来ているのに。。。
僕は顔を真っ赤にして下を向くことしかできませんでした。
これが八村塁選手のエピソードだと、
「八村選手も昔から上手だった訳ではない。自分も頑張ればいつかNBAのドラフト位置指名になれるかも」
という、いい感じのエピソードかもしれないが。。。。
無能な僕にでも、セミリタイア資金4000万円が貯蓄出来たその方法
親が金持ちのK君にはあの怖い監督も頭が上がらない
バスケットボール部の中に7不思議の1つがあった。
それはバスケが下手なK君はいつも試合に出られて、ミスしても他の子は監督から厳しく怒られるが
K君はなぜかそんなことはなかった。

どうして?
K君のお父さんは会社の社長をしていて、家も大きく、立派な庭がありその庭にはバスケットボールのゴールが設置されていた。
名寄市の田舎で多分No.1の金持ちだったと思う。
そんな裕福な家庭に一人っ子として育ったK君はとてもわがままで自分の思い通りにいかないとすぐ怒り、周りにあたってしまう。

そんな子とは関わりたくないな!
見た目はバスケ選手とは思えないアンコ型で相撲や柔道に向いていそうだった。
K君のバスケの腕前は僕よりも下手だったが、いつも僕よりは試合出場の機会に恵まれていた。
なぜかというと、K君のお父さんはバスケ部の活動費、遠征費を他の親御さんより多くだしており
バスケ部の遠征になると、自前のマイクロバスを使い、みんなをバスに乗せていた。

個人でマイクロバスを持っているんだ。すごい!

金持ちだったしね。
そんな関係性だったので監督もK君を試合に出させ、ミスしても苦笑いしているだけだった。

普段から遠征費やバスを出してもらっているから、その息子を優遇するってことか。K君って恵まれているね!
K君に赤っ恥をかかせたあの日
とある日、バスケ部の練習が終わり、監督が突然
「よし、2人一組になってレイアップの対決をしよう」
となった。
※レイアップとは走りながらジャンプしてシュートするバスケットにおける最も基礎中のシュート
普段、こんなことはしないので珍しいと思った。
ルールは2人同時にレイアップを行い先に6本入れたら勝ち。
というシンプルなものだった。
僕はあのK君と対決することになった。
僕はレイアップは結構得意だったので、内心勝てると思った。
そして、僕は7本シュートを打ち6本を先に決めた。
K君は10本以上のシュートを打ちようやく6本を決めた。
K君は

「ちょっとまって、靴紐踏んだ!」

「今日は調子が悪かった。昼くらいから腹がいたい」
なと言っていたが、もう後の祭り。
みんなの前でK君に赤っ恥をかかせた!

素直に負けを認めないKくん。。。
別にK君のことはそんなに嫌いでもなかったけど、なんかすっとした。
もしかしたら監督は僕がレイアップが得意だからわざと僕とK君のペアにしたのか?
今となっては不明だが。。。
クラスの中でも最後に名前を覚えられる子でした
学生時代のスクールカースト(学校内での序列)もピラミッドの土台部分であったことは言うまでもありません。
あの人ってうちのクラスにいたっけ?
よくあったのが、

あれ?あの人ってうちのクラスにいたっけ?
という、スクールカースト最上位に君臨するイケてる男女の言葉。
この手のことは何度も遠くから指をさされたりした。
もちろん僕の名前も知らないはずだ。
たかだが40人くらいのクラスメイトで、1年くらい一緒に過ごしてもこの調子だった。

1年も同じクラスで名前を覚えてもらえないの?
こんな時も僕は顔を赤くして、下をうつむくしかできなかった。
バスケ部なのに運動神経の良い子に体育の授業で・・・・
でもバスケ部だから体育のバスケの時間は目立ってヒーローだったんじゃない?
と思われるかもしれないが、もともと運動神経の良い子にドリブルで抜かれたり、思い切って打ったシュートをブロックされたり、パスをカットされたり、フェイントにモロに引っかかったりと
僕がバスケ部所属だと知っているクラスメイトからは

お前さー、バスケ部だよな?練習ちゃんと行ってる?

バスケ部だと思ってパスバンバン回したけど、全然点取ってくれないじゃんー
など言われ、また顔を真っ赤にしてうつむくくらいしかできない僕。。。。
家でも勿論グダグダな人生
家でもグダグダでした。
僕は子供の頃、すぐ泣く子でした。
いつも親に怒られる
ちょっとした事で泣いていました。
小学校の2年生の時に、親戚に不幸があり、車で移動することになった。
別の親戚も僕らと同じ車に乗ることになって、1台の車に5人車に乗ることになった。
普通5人で車に乗ると、後ろの座席に3人乗ることになり、真ん中が窮屈なので
乗りたくない。
乗る前に4つ上の姉に

あんた、最初真ん中乗りな。帰りの車はお姉ちゃんが真ん中に乗るから
と言われ、渋々片道2時間の道中を狭く窮屈な社内で過ごした。
でも帰りはお姉ちゃんが真ん中乗ってくれるというし。帰りは窓の景色でもじっくり見ようかな
・・・・・・・・・・
ところが、帰りの車に乗り込む際、姉が

やっぱりあんたが真ん中に乗りなよ
といいだした、僕はダダをこね

お姉ちゃんの嘘つきー!帰りはお姉ちゃんが真ん中に乗るっていうから、僕は行きの車で我慢したのにー!びぇええええん😢
車が発進しても自分が後部座席の真ん中に乗っていることが我慢できなくて泣いていたら
親父が

そのくらいでイチイチ泣くな!
と怒られた。
「イチイチ泣くな!」という言葉は親父がよく言うセリフで、びくっとした。
見かねた隣に座っている親戚の叔母さんが

レオくん、おばさんが真ん中に座ろうか
と言ってきたその刹那、母が
「いいの、甘やかさないで!」
と強い口調で言ってきた。
こんな車の席1つごときで子供の頃は泣いていた。
親に対しても言いたいことは言えず
こんなこともありました。
正月に母方の祖母の家に行った際、帰り間際に祖母が「レオにお小遣いあげるわ。」
と言われた。
当時僕は財布を持っていなかったので、母があずかることになった。
祖母から母に渡された3000円。小学校当時の僕からすると、とんでもない大金だ。
3000円あれば、お菓子も買えるし、漫画も買えるし、あれもこれも。。。
と夢が膨らんだ。。。
しかしその3000円は1か月過ぎても、3か月過ぎても、1年過ぎても僕の元には帰って来なかった。
ある日、決意して両親がいる前で

ずっと前に、ばあちゃんから僕にと渡した3000円そろそろ返してほしいんだけど・・
母親が首をかしげて

そうだっけ?
といった態度だった。
僕は明確に覚えていたので行った日、その日のやり取りなど事細かに説明したが、
結局思い出されずどころか親父から

「いいかレオ。世の中には時効というものがある。時効というものはこれこれこういうものでお金に関しては1年のはずだ。お前が1年以内に請求しなかったらそれは無効だから諦めろ」
という大人の理由で丸め込まれてしまった。 ༼ つ ◕_◕ ༽つ
親父は高卒なのにそういうことや漢字に関しては詳しかった。
趣味が読書だからか?
長い間ほったらかしにしていた僕も悪いのだが、子供の頃は自分が思っていることを
身内にすら話せない子供だった。
僕はこんな自分の意見もいえず、クラスでもいてもいなくてもいいような存在でした。
でも、こんなぐずぐずな子供時代でも45歳で4000万を貯めることが出来ました。
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