東日本大震災で知ったやはりうちの会社ブラックだ!【早く帰らせろ】
どうも。セミリタイアブロガーのレオです。
僕が10年間実施していたお金の増やし方【誰でも再現可能です!!】
今回は、東日本大震災の時に「うちの会社やっぱりブラックだな」と思ったというテーマです
2011年3月11日
東日本大震災から早くも、8年以上が経過しています。
しかしその日の記憶が鮮明に残っています。
2011年3月11日 14時46分。
突然、今まで経験した事がないくらいの揺れが襲ってきました。
自社で仕事をしていましたが、誰かが
「みんな机の下に潜れ!」と怒鳴り
みんな机の下に潜りました。
約1分後にようやく地震が収まり、社内は騒然です。
仕事そっちのけでネットで情報を収集し、震源地、各地の震度、実家の安否、壊れた備品の確認・・・などなど。
16時くらいになると都内の電車がほぼ壊滅で動いていません。
道も混み、タクシーを拾うのもほぼ不可能です。
そして、定時の17時半になり、人事部長が
「みなさん。定時になりました。親会社と協議して、今日は帰れる人は帰りましょう。帰れない人は、会社でホテルを用意することも検討しています。」
・・・?ん?、地震から3時間近く経過して、16時くらいには電車も止まっているのにどうやって帰るのだ?定時だから帰っていい?
ホテルを用意?もう予約で埋まっているのでは?
沢山の?が僕の頭を駆け巡りました。
僕はGoogleMapで検索すると会社がある港区から自宅の江戸川区まで徒歩で2時間半で到着すると出ました。
2時間半か。。。
家のガラスが割れていないか?水が漏れていないか?火事とか大丈夫か?電気が通っているのか?
色々迷いましたが、携帯の充電がフルになったのを確認し、19時くらいに徒歩で帰宅するため会社を退出しました。
余談ですが、後で聞くと帰ったのは、僕を含めて60名中たった数名らしく、いかにも「有事の際も仕事!」の日本人らしいですね😢
なんでみんな帰らないの?
2時間半と言えど道が混んだり途中でコンビニのトイレに寄ったりで結局3時間ほどで自宅に到着しました。
しかし、その後別の会社勤めの友達などに聞いた話では、地震があった日の16時前には解散でほどんどの人が自宅に帰れた事、翌週月曜日も休め、火曜日以降も連絡があるまで出社を見合わせという、なんとも危機管理が出来ていました。
「え?レオの会社って17時半になって帰っていいって言われたの?ムリじゃね?なんでそんなに定時にこだわるの?」
と言われる始末。。。
僕が所属していた会社というと、同僚に聞いた所、会社がホテルを取るといったものの、結局そんな都合よくホテルなど取れず、大会議室でみんなで雑魚寝、男ならともかく女性は、なかなか大変だったんでしょう。
報道を見ても、「来週一週間は、会社には来なくてよいと言われた」という人のインタビューを見たり、「社内の非常食が配布された」など、「うちの会社とは違う」と何度も思いました。
うちの会社と言えば、翌週月曜日の事は全く触れず、僕も社畜全開で出社しようとしましたが、駅が入場規制を行っており出社を断念。
翌日の火曜日も結局、出社は本人まかせというなんともあいまいな状態です。
タクシーを使ってでも出社しろと電話する上司
同僚に小田急線の結構奥のほうに住んでいるS君は、月曜日、火曜日と電車が動かずに出社出来ていませんでした。
すると上司が「あいつ全然来ないな」といい、
S君に電話をしました。
「おう、S!どうだ?お前はゆっくり休めていいなー」
「明日来れそうか?」
・・・明日電車が動くかどうかなど、S君が知る由もありません。
「ずっと休んでる訳にはいかないよな?電車が動いていなかったらタクシーでも来いよ!」
・・・S君は自宅が遠く片道1万5線円くらいかかります。往復で3万円。。。
そこまでして出社させたいものか?
S君の仕事はそんなに緊急性が高いのか???
どうやらブラックの会社は国難<仕事のようです。
そのやりとりを目の前で見ていた僕はいかりや長介ばりの
「だめだこりゃ!」と何度思った事か。。。
こんな有事の際でも仕事、出社です。
とっととセミリタイア資金を貯めて、会社組織という名の謎の母体から脱出すべきです。
そしてセミリタイアをしたら、自分が興味があることを徹底的にやるべきです。
自分のペースで生活できます!
僕が10年間実施していたお金の増やし方【誰でも再現可能です!!】
では、皆さんによいセミリタイア生活の未来があることを願っております😊
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